中国茶文化を五感で味わう 本格お茶摘み体験 を開催しました
4月18日(土)に杭州の龍井茶の故郷でお茶摘み体験イベントを開催しました。杭州日本商工クラブ交流分科会としてはこの2年間、メインイベントである忘年会を諸事情から開催させていただくことができず、メンバーには忸怩たる思いがありました。この度、お蔭様でお茶摘みのイベントを開催させていただくことができました。しかも当日は前日まで降り続いた雨も上がり気温も上昇、天候にも恵まれました(写真1)。
当日はお子様含めて計約60名の会員企業の皆様にご参加いただくことができました。ありがとうございました。杭州といえばお茶、即ち緑茶、そして西湖龍井茶です。普段はただ飲んでいるお茶、そのお茶摘み、煎茶、飲茶までの工程を貴重な体験と共に楽しむことができました(写真2)。特に印象に残ったことは抹茶に絵を描くということでした(写真3,4)。ただ単にお茶を味わうだけでなく、描いて楽しむ、見て楽しむという特にこちら杭州が臨時の首都(臨安)なった南宋時代にはお茶の文化が書画や生け花、お香と共に文化的に発展したという説明をいただきました。
その発展した文化も次代のモンゴル(元)の時代を経て次に天下統一した明の初代皇帝の朱元璋は農民出身(現在日本の大河ドラマで豊臣兄弟が放送されていますが、朱元璋は豊臣秀吉と同じく農民から天下を取った人物ですが、朱元璋は秀吉よりもさらに極貧からのたたき上げです)であったためにその様な文化を嫌い、一時的にお茶の文化は衰退したとのことです。しかし、明の後半から清の時代にかけてさらに発展し、やがては緑茶からウーロン茶(緑茶が一部発酵したもの)、紅茶(緑茶が全て発酵したもの)にもなり欧州にも広がり世界的な文化となりました。まるで架橋の様に中国のお茶が世界に広がって味や見ためも変えながら根付いていったように思います。
さて、龍井茶については、その後の明代(14-17世紀)に「龍井」という名称が定着し、
「杭州の諸茶、総じて龍井の産に及かず」と評価され、中国六大銘茶に数えられ、次の清代(17-20世紀)には、乾隆帝が江南に6度巡幸し、4度龍井を訪れ、詩を6首も詠む。獅子峰の下の18本の茶樹に「御茶」の称号を与えた。これにより龍井茶は名実ともに「天下第一茶」となったとのことです。
せっかくですので、受け売りではありますが、お茶の歴史について以下に記載します。
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起源と初期利用:「荼」から「茶」へ
·薬用起源(紀元前2737年頃):神農伝説によると、神農が毒草を試した際、「荼(お茶の古称)」によって解毒したとされ、これがお茶の薬用利用の始まりとされます。食用・飲用への展開:初期には葉を野菜として食べたり、スープの具にしたりしていました。漢の時代には四川で茶の市が開かれ、商品として流通し始めました。
隆盛と洗練:唐・宋の黄金時代
唐代(飲茶の普及):780年、「茶聖」陸羽が世界初の茶の専門書『茶経』を著し、煎茶法を体系化。飲茶を文化的に高め、「茶」という字が正式に定着しました。宋代(芸術としての完成):抹茶を碗に入れ、湯を注いで練る「点茶法」が流行。技を競う「闘茶」も楽しまれ、徽宗皇帝自ら『大観茶論』を著し、茶文化は頂点に達しました。
変革と普及:明・清の転換期
明代(製法の革命):朱元璋が「団茶を廃し、散茶を盛んにせよ」との詔を発し、現在のように茶葉を直接湯で淹れる方法が普及。この時期、緑茶・紅茶・烏龍茶など六大茶類の原型がほぼ完成しました。清代(大衆化):飲茶習慣が庶民の生活に完全に浸透。街角の茶館は重要な社交・娯楽の場となりました。
世界への伝播
日本への伝来:唐代に最澄が茶種を持ち帰り、宋代には栄西が『喫茶養生記』を著し、日本茶道の基礎を築きました。欧州への伝播:1610年、オランダが初めてヨーロッパへ茶を輸入。瞬く間に貴族の間で流行しました。茶馬古道:唐宋以降、馬と茶を交換する「茶馬古道」は交易路としてだけでなく、文化交流の架け橋としても重要な役割を果たしました。
緑茶:最も古い製法、原点にして頂点
中国最古の茶で、歴史の大半は「緑茶」の歴史と言えます。
唐代~宋代:摘んだ葉をすぐに蒸すなどして発酵を完全に止める製法が確立。当時の主流である「団茶」も、本質的には緑茶でした。明代:葉を炒って高温で酵素を失活させる「炒青製法」が普及。現在のような仕上がりの緑茶が広まり、日本でも煎茶に影響を与えました。特徴:発酵ゼロ。摘んですぐ加熱して酸化を防ぐため、爽やかな青草香と渋み、そして「清涼感」が特徴です。
紅茶:意図的な発酵で生まれた「赤いお茶」
偶発的な発見から生まれ、世界を席巻した茶です。
誕生(17世紀・中国福建):ある説では、明末に軍隊が茶工場に駐留。葉の乾燥が遅れ、自然に酸化・発酵が進んでしまい、慌てて松材で炙って仕上げたところ、赤い水色と芳しい香りの茶ができたとされます。これが世界初の紅茶「正山小種(ラプサン・スーチョン)」です。
世界的ヒット:
17世紀にオランダ、イギリスへ伝わり、水が安全でない欧州で紅茶は沸かして飲む習慣とマッチ。やがてイギリスでアフタヌーンティーなどの文化を生みました。19世紀にはインドやスリランカで大規模栽培が始まり、世界的飲料に。特徴:完全発酵(酸化)。渋みの元がまろやかになり、コクと華やかな香り(フルーティーなど)が特徴です。
烏龍茶:緑茶と紅茶の間、「部分発酵」という発明
清代(17~18世紀)、福建省で職人たちが「茶をどれだけ酸化させるか」を緻密に調整する技術を編み出しました。伝説では、ある猟師が茶の葉を籠に入れて揺らしながら山道を下りたところ、葉の縁が傷ついて赤く変色。しかし中心部はまだ緑色のまま。これを炒めて仕上げたところ、予想外に爽やかでありながら花のような芳醇な香りが生まれました。これが烏龍茶の製法「揺青(ヤオチン)」の始まりです。職人の技と経験を極限まで要求するこの製法は、茶の表現力を飛躍的に高め、「青茶」という新たなジャンルを確立しました。部分発酵。緑茶の爽やかさと紅茶の芳醇さの両方を併せ持ち、花のような香りと奥行きのある味わいが特徴です。
歴史的な登場順のまとめ
1. 緑茶:最も古く、基本の製法。酸化を「防ぐ」技術。
2. 紅茶:偶発的に生まれた完全発酵茶。酸化を「進める」発想。
3. 烏龍茶:紅茶の経験を踏まえ、酸化の「度合いを自在に操る」高度な技術の結晶。
つまり、緑茶から始まり、偶然から紅茶が生まれ、その知識を応用して職人技の烏龍茶が完成した、という流れになります。
龍井茶(Longjing Tea) について
緑茶の最高峰にして「中国十大銘茶」の筆頭格。その歴史は単なる飲み物の域を超え、1200年以上にわたる文化と権威の歴史です。
起源:寺から始まった「金色の黄金芽」
唐代(起源・600-900年):茶聖・陸羽の『茶経』に「杭州銭塘の天竺・霊隠二寺に茶を産す」と記載。ここが龍井発祥の地とされる。北宋(確立・11世紀):辯才法師という高僧が龍井村に隠棲し、獅子峰のふもとに茶園を開く。これが「龍井茶」の直接的な始まりとされ、法師は客をもてなすために自ら茶を振る舞った。元代(名声・13-14世紀):文人・虞集が「烹煎黄金芽(黄金の芽を煎じる)」と詠い、この頃から貴重な存在に。
黄金時代:皇帝が認めた「天下第一」
明代(確立・14-17世紀):「龍井」という名称が定着し、「杭州の諸茶、総じて龍井の産に及かず」と評価され、中国六大銘茶に数えられる。清代(絶頂・17-20世紀):最も重要な転機。乾隆帝が江南に6度巡幸し、4度龍井を訪れ、詩を6首も詠む。獅子峰の下の18本の茶樹に「御茶」の称号を与えた。これにより龍井茶は名実ともに「天下第一茶」となった。
現在:緑茶の代名詞へ
清の時代に頂点を極めた後、現代に至るまでその地位は不動。中華人民共和国の国家外交礼品茶(国賓茶) としても使われている。現在では産地によって「獅・龍・雲・虎・梅」の五大ブランドに分かれ、特に「獅峰龍井」が最高峰とされる。
歴史のまとめ
龍井茶の歴史は「寺 → 文人 → 皇帝 → 世界」という流れで権威を高めてきました。特に乾隆帝の「御茶」認定が、その名声を決定的なものにしています。龍井茶のあの独特な「扁平な形」や「炒る香り」は、実は極めて高度な手作業の技術で作られています。

以上
2026年04月20日 杭州日本商工クラブ 交流分科会
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